MEDIA

2015.03.25

『GQ JAPAN』(2015年5月号)で、チームラボ猪子の連載(最終回)。

連載「日本、アジア、そして21世紀 拡大版」
第二十一回「
日本の古来の空間認識は、デジタルによって再び、花開く」


チームラボの代表・猪子寿之が、変わりゆくメディア環境を思索する人気連載も、今回が最終回。

日本古来の固有の空間認識についてまとめる。


第17回で、デジタルという概念が、美の概念を拡張できると僕らは信じているという話をしました。そして、第18回から3回に渡り、古来、人類が長年培ってきた、近代以前の古来の日本の空間認識について触れました。そこでは、近代社会とは相性が悪かったために捨てられたものがあり、その中に、新しい社会のヒントがあるのではないか。さらにそれは、西洋の遠近法と同じように論理構造のある空間認識であり、僕らは、それを「超主観空間」と定義しました。

今回は、古来の日本の空間認識は、デジタルによって拡張された美と、相性がよい部分がある──という話をします。

 

平面を「折ったり、分割したり」し、空間を再構築する


屏風やふすま絵からもわかるように、「超主観空間」によって平面化された作品空間は、平面を「折ったり、分割したり」しても、不自然にならない特徴があります。それは、デジタルの「空間適応性」と、極めて相性がいいのです。「折ったり、分割したり」することによって「平面を、実際の鑑賞者がいる現実空間に再構築し、新たな作品空間を自由に創る」ことができるからです。


歩き回りながら作品を鑑賞する


西洋の遠近法を用いた平面=作品は、鑑賞する場所が固定的になります。しかし、「超主観空間」による平面は、視点が限定されず、視点の移動が自由になります。つまり、鑑賞者は縦横無尽に好きな場所から絵を見ることができるのです。デジタルの「拡大性」と「空間適応性」によって、デジタルアートは、容易に、巨大空間になります。これまで、従来の絵画は、鑑賞者が一カ所に留まって見るものでした。しかし「超主観空間」による平面の場合、鑑賞者は巨大なアート空間の中を自由に歩き回りながら、作品を鑑賞することができるのです。いわば「絵を見ながら、絵の中に入り込める」という論理的な特徴を持っています。デジタルによって巨大な空間となった「超主観空間」の作品で、鑑賞者は現実空間を認識しながら、まるで作品空間の中にいるかのように、作品を「体感」するようになります。実際に現実空間を歩きまわると、まるで、作品空間を歩いているかのような体験をするのです。


すべての鑑賞者が作品に「参加」する


「超主観空間」による平面は、「限定された視点を持たない」「消失点がない」ため、投影面や焦点距離といった概念がありません。どんなに巨大な作品であったとしても、どこからでも、「鑑賞者中心に作品を鑑賞」することができます。そして、その特徴は、作品がインタラクティブ(双方向的)になったとき、鑑賞者が中心となって作品を変化させることと相性がいいのです。すべての鑑賞者が、それぞれの場所からひとつの作品へ参加することができます。

つまり、すべての鑑賞者が、優劣なく作品に参加し、自分中心に、自分とまわりの人の影響を受けた作品を鑑賞することができるのです。

 

人もアートも、踊れる


日本の古来の空間認識から紐解いた「超主観空間」は、大きな可能性を持っています。相性のいいデジタルを用いることで、さらに飛躍するでしょう。デジタルテクノロジーは、作品の大きさだけでなく、人々の振る舞いによって自由に変化することや、空間の中を自由に歩き回りながら体感できるなど、新たな作品空間の創造を生み出します。すなわち、近代に捨てられてしまった日本の古来の空間認識は、デジタルにより拡張された美として、再び、花開くのです。鑑賞者は、一点にじっと立ちすくみアート鑑賞する必要もなければ、その際にとなりの人を邪魔だと思う必要もないのです。そして、アートは、その魅力を維持したまま、人々の参加によって変化することもできるのです。鑑賞者もアートも、より自由になるのです。そう、人もアートも、踊れるのです。




GQ JAPAN(2015年5月号/コンデナストジャパン)
2015年3月24日(火)

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